ご存じですか?
第6回 松戸に電灯がともった日
当然のことですが、昔はどこの家庭にも電気というものがありませんでした。文化の灯りというべき電気が松戸に流れた時のお話です。
今日の生活では欠かすことのできない電気。冬はコタツ、ストーブにあたりながら、テレビでも見て、ミカンを食べて、のんびり家族と団らんなんて感じでしょうか。もし、電気がないと紅白歌合戦は見れないし、もちろん部屋は真っ暗。電話もできないし、洗濯も手洗いです。今や電気が無い生活は考えられませんね。
今回は松戸で初めて電灯がともった時のお話です。
江戸・明治時代の松戸市は菜種や綿種などからしぼった植物油や、魚油を使った「あんどん」とか、木ロウで作った「ろうそく」がありましたが、その時代ではとても高価なものだったので、いろりの火の明かりなどを生活の明かりとしていました。だから、呼吸器や目を悪くした人が多くいました。夜なべをするお母さんなどは、それは大変だったようです。
まず、日本で初めて電灯がついたのは東京の虎の門で、電信中央局の開業祝賀会の明治11年(1878)3月25日で、イギリス人のエルトンの指導でグローブ電池50個を使い、アーク灯を点火しました。点火時間は数分でしたが、人々は天地がひっくりかえるくらい驚いたそうです。今はその日が「電気の日」になっています。そして、明治21年7月から東京の一般家庭にも電気が送られるようになりました。
千葉県では千葉町に明治39年に千葉電灯株式会社ができたのが始まりで、松戸・市川では、明治42年に京成電気軌道株式会社が設立され、1年後に国から認可がおり、イギリスのコーンス商会などからサクション式ガス力による原動力機関と発電機を購入し、出力60キロワットの発電所を明治44年、市川に建設しました。そしてその年の7月27日の夜に電気が送られ、579灯、その内50灯の街灯の炭素電球が松戸の夜を彩りました。彩ったといいましても、10ワットそこそこの電球なので、光力が低く、現在の電球の光に比べれば、蟻と象といった感じですが、その頃の電気といえば新しい文化、文明の象徴でしたから、松戸の人々の喜びようは大変なものでした。「昼間のようだ」「畳の目が1つ1つ数えられる」「あんたの顔が夜も見れてうれしいわ」なんていいながら、その夜をお祭り気分で過ごしたそうです。
東京に遅れること20数年後の電灯の始まりでしたが、東京の電気普及率が20パーセントそこそこだった頃なので、松戸に電気が灯ったことは、正に松戸の人々にとって明るい未来の展望が開けたのでした。
それに加え、同時期に昔から長年の夢というべき、江戸川の橋が建設され、東京と松戸が陸つづきになり、松戸の街が急成長する時代に突入しました。
しかし、電気料金はとても高く、1ヶ月分の料金で石油1年分が買えた時代なので、農村地区では普及が遅れました。東京の電気会社に比べ、料金も高かったので、京成電気会社と松戸の人々との料金値下げ運動など、政治色がからんだ事件も起きました。