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第3回 二十世紀梨の誕生

松戸は日本が誇る梨の王様「二十世紀梨」が生まれた地であります。そこには、すばらしい逸話が隠されているんですよ。

ゴミ捨て場から歴史は始まった

大橋にある二十世紀梨の記念碑と公園の風景
明治21年、松戸の大橋に松戸覚之助(1875年~1934年)という好奇心旺盛な少年がいました。覚之助の父は2年前から梨園を経営していて、覚之助は父を手伝い家計を切り盛りしていたようです。ある日覚之助は、分家の石井宅のゴミ捨て場に捨ててあった、普通とはちょっと変わった苗を見つけました。覚之助の父は虚弱な苗として、捨ててしまったようですが、覚之助はとても興味をもって、じっくり育ててみようと思ったようです。育ててみると、たいへん苦労したようで、黒はん病という病気には弱く、10年後の明治31年にようやく成熟しました。苦労してできた成果を恐る恐る味わってみると、これが素晴らしい。これまでの梨に比べて芯が小さく、果肉が多く、色は乳白色で、口のなかにジュワと広がる心地良い甘味と水分があり、文句なく素晴らしい梨でした。その夜から松戸家はドンチャン騒ぎ、1週間ぶっ続けの宴会だった。というのは定かではないですが、それほど大変なことでした。

名付けられた梨は全国に飛ぶ

はじめは、青梨新太白と名付けられたのですが、明治37年に東京興農園主の渡瀬寅二郎と東大助教授の池田伴親氏により、「これぞ20世紀最高傑作」ということで、二十世紀梨と命名されました。そして全国に知れ渡り、絶大なる人気をもちました。覚之助の経営する綿果園に苗木の注文が殺到し、現在二十世紀梨の産地として有名な鳥取県には、同年に苗木が送られたようです。

原樹の行方とその後

二十世紀梨の原樹は昭和10年に、国から天然記念物の指定をうけましたが、昭和19年に本土空襲をうけ、焼夷弾によって被害、昭和22年に残念ながら枯れてしまいました。区画整理により、記念碑は東寄りの公園に建てられています。松戸の輝かしい歴史のお話でした。



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