ご存じですか?
第2回 一月寺と虚無僧の暮らし
松戸には昔すこし風変わりなお寺があったのを知ってますか?今回はそんなお寺と住民のお話です。
どこからでも来い!
現在の一月寺の外観。昔は虚無僧がここから出たり入ったりしていました。
江戸時代の小金町には、普化宗金竜山一月寺という大変風変わりなお寺がありました。別名虚無僧寺といわれたこのお寺は、お経を読むものもなく、仏事らしいことはさっぱり、カラスがカーカー朝から鳴いているだけというお寺だったそうです。ただ虚無僧といわれる武士の平服に紺黒五条の袈裟をかけ、深編み笠をかぶり、尺八を吹きながら行脚、托鉢をする半俗半僧、有髪の人々がどこからともなく集まり、そしてまた去ってゆくという、日本昔ばなしにでてきそうな感じだったそうです。
もしかして迷惑寺?
一月寺は全国の普化寺院7派67箇所の中心的な位置にいました。お寺の住職は虚無僧と違って、普化宗門の宗主なので頭を丸め、香衣を着ることもありました。しかし前述のように仏事を行なわなく、経典の代わりに尺八を吹いている為、寺院活動での収入はありませんでした。主な収入は房総3ヶ国各村々の喜捨でした。それも、みすぼらしい虚無僧が托鉢に来ないように、という迷惑御免料という形で喜捨されたようで、昔の虚無僧の社会的な位置が低かったのが分かります。
現在の一月寺
虚無僧寺で現存しているのは全国で一月寺だけで、由緒ある寺として松戸市小金に今でも住宅地にまぎれてひっそり建っています。
唐代の風狂僧鎮州普化和尚の生き方にならい、世間は虚仮で実体がないと観じ、心を虚無にし、尺八を法器とし、尺八を吹くことで禅の奥義を窮めんとしたことから名付けられた。実際には、禅僧としての活動はせず、尺八を吹いて金銭を乞う遊芸人にすぎない者や、自由に旅をできる特権を生かし、浪人や無頼の徒が身を隠す手段に利用した。ぼろをまとって物乞いをしたので暮露や、こも僧ともいわれた。のちには美服を着用し、ビロードに金糸縫取りの尺八袋をもつ伊達姿の虚無僧も現れたという。「徒然草」にも言及されており、今もってテレビの時代劇や、街頭で大人気のキャラクターといえるでしょう。