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徳川文武の「太平洋から見える日本」
第百七五回 離島日本を考える
第二次大戦が終わって今年は七十年になる。その後も中東戦争、ベトナム戦争、ソ連による衛星国への度重なる侵攻(ロシアのウクライナ侵攻も含む)、湾岸戦争、回教武力による同時多発攻撃、アジア諸国の軍事勢力暴動、新旧勢力間の闘争や対立宗教間闘争(イスラエルとパレスチナ闘争など)ときりがない。ドローンやミサイルが実用されない時代には、隣国と戦争が起こるとき、第二次大戦以前の技術で侵攻を手間取らせるには、敵国に鉄道利用を不便にすることが最大の対抗手段だった。
大陸国家と離島国家それぞれの利点と欠点を考えて見よう。ロシアによるウクライナ侵攻やパレスチナ領土のイスラエルによる侵攻は、地続きであれば容易になる。そういう意味で西欧諸国では頻繁に隣国との戦争が起きた。地続きであれば、人々の移動も容易で、交易も文化交流も盛んになる。自動車がなくても馬車は十分な交通機関だった。
日本や台湾はアジア大陸から二百キロくらい離れている。陸路と比べて海路は海流と天候が大きな危険の原因となる。離島国家は外敵の侵入を阻んだ最大の環境だった。そればかりか離島国家には島の周辺二百海里までが漁業権や海底資源の縄張りとなるので大きな隠れ財産となる。
近代化が遅れたロシアは十九世紀初めにナポレオンによるモスクワ侵攻を受けた。十七世紀から一九一七年のロシア革命まで統治したロマノフ朝の広大なユーラシア大陸の北側を一手に領土にしたものの、国土開発はバルト海側にサンクトペトログラドを開き、内陸のモスクワ周辺とキエフを首都としたキエフ侯国が経済活動の中心だった。ロシアはエカテリーナ女王の時代に西欧世界の仲間入りをするために、莫大な金をかけて宮殿を造営したが、財政破綻のため北米大陸の領土アラスカを一八六七年に米国に売却してしまった。ロシアは首都モスクワから太平洋側のウラジオスストクまで七千四百キロのシベリア鉄道を完成したのは十九世紀末だった。
ロシアにとって鉄道はなくてはならないが、西欧からの侵攻を避けるために、西欧側よりもかなり広い幅の軌条を採用することにした。その影響は今も残っており、旧ソ連圏諸国を西欧規格の列車で旅行するときは、西欧の客車を吊上げ幅が広い線路の上に置いた台車に乗せ換える必要がある。西欧側の入国者の入国審査は吊上げられた客車の中で行われると言うのが、旅行者に聞かされた話である。アガサ・クリスチの小説「オリエンタル急行の殺人」でスペインのマドリドを出た急行がトルコのイスタンブルまで行くこととなっているが、この小説の映画には「入国審査」の場面は出て来ない。昨今、テレビの報道に現れるウクライナ鉄道はウクライナ住人が避難のためにポーランド行きの青色の客車に乗る場面などが散見された。
さて離島国家である日本の軍事的防衛について考えて見よう。もちろん、この現代では仮想敵国からの第一段階での攻撃は、ドローンやミサイルである。日本の離島それぞれに迎撃用ミサイルを置くようなことは経済的にできないので、それぞれの離島には攻撃から身を守る防空壕を設置することが最も有効だと思われる。仮想敵国は日本の離島を攻撃する時は、多数のミサイルでほとんど同時に攻撃して、日本の防衛が全数迎撃するゆとりがないような攻撃方法を採るだろう。
「国民各」位は、国民を攻撃から守るのは「日本政府」責任だから、自分の責任ではないとしらを切らないで、国民も自分の国を守る責任を担うのだと考えるのが妥当だと思う。仮想敵国は戦争になれば、まちがいなく、最も効果的な手段に出るであろう。原発や化学工場標的にするのが手っ取り早い。ドローンで届ける生物兵器も有効な攻撃手段だろう。
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