Vol.26 -- 2002 年 06 月号
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vol.1 |
徳川光圀公(水戸黄門)
も訪れた松戸神社 |
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更科日記より |
平安時代、現在の房総は総の国と呼ばれ、南を上総国、北を下総国、安房国と呼んでいました。当時は交通が発展していなかったので、下総国の国府(市川市国府台)から常陸の国府(茨城県石岡市)、武蔵の国府(東京都府中市)へ行くときは、必ず松戸を通らなくては行けませんでした。その頃の松戸は、ふとひがわ(現在の江戸川)の津(渡し場)でもあり「馬津」とか「馬津郷」と呼ばれていたようです。それが「まつさと」になり「まつど」になったのが地名の由来とされています。菅原道真から五代目の菅原孝標の娘が書いた『更級日記』の中に「まつさと」の名で松戸が出てきます。書き出しは、父の菅原孝標が上総の国府の任期が終わり京の都に帰国するところからはじまります。その道すがら松戸を通ったときのことを思い出しているのでしょう。読んでみると当時の情景がよくわかります。
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道と河川が文化や物資、そして人を運ぶ |
松戸に人が住み始めたのはいつか、あまりにも遠いいにしえのことで詳しいことは不明ですが、有名な幸田貝塚をはじめ縄文時代の遺跡が数多く発掘され、古来より人々が住みつき暮らしていたことがわかります。鎌倉時代から戦国時代には、江戸川に面した見晴らしのよい台地の上に城郭や武士の居館がたくさんあったといいます。時代とともに産業・文化・社会制度は変化しつつも、松戸は古くから交通の要衝として、また気候もよく作物の実りも豊かで海の幸にも恵まれ、生活しやすい地として人々が集落をつくってきました。
江戸時代は、水戸街道の宿場町として、また江戸川沿いには河岸ができ銚子方面の鮮魚を江戸まで運ぶ河川交通の中継地として栄え、村の守り神として日本武尊を祀った“松戸神社”もでき、お社を中心に大勢の人が集まるようになりました。明治時代になると街道は整備され馬車、荷車など交通量も増え、水運も盛んで東葛地方の中心となり、村から町へと発展していきます。明治29年(1896)には土浦‐田端間の鉄道(常磐線)が開通。昭和18年(1943)には千葉県で7番目の市として松戸市が誕生します。昭和30年までは東側の台地は畑や山林で占められ、江戸川沿いの低地は見渡す限りの水田が広がっていたといいます。その後、首都圏の住宅供給地として開発が進み、今では50万都市といわれるほどになりました。
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↑年間を通し様々な行事が行われています。近くに御領所陣屋や松戸宿の本陣跡もあることから、この辺りは古き松戸の中心といえます。 |
↑松尾神社(右)と三峰神社など四つの神様が祀られています(左) |
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松戸神社と黄門様 |
松戸神社は、寛永3年(1625年)の創建。初めは“御嶽大権現”といわれていましたが明治15年(1882年)に松戸神社と改称されました。本殿には、幕末追討軍の総大将・有栖川宮熾仁親王の筆による“日本武尊”の額が掲げてあります。町の守り神として人々に大切にされ、徳川御三家の一つ、水戸家からも信仰されていました。お馴染み「控えおろう、このお方をどなたと心得る」と三つ葉葵のご紋章を片手に、ご家来衆が見得をきる徳川光圀公(後の水戸黄門)も、鷹狩りの帰路に立ち寄りました。松戸は将軍家から贈られた水戸家の御狩場でもあり、五代将軍綱吉の“生類憐れみの伶”で廃止になるまでは、光圀公がよく利用したといいます。
そんな光圀公にまつわる話を紹介します。
そろそろ夕暮れ、鷹狩りの疲れを休めている時でした。境内の大木に白鷺がとまっているのを見つけた光圀公は、あまり獲物もなかった今日のこと「よき獲物じゃ。捕まえてやろう」と鷹を放って捕らえようとしましたが、鷹はバタバタと羽ばたくばかりで、なぜか飛び立とうとしないのです。「ええぃ、臆病な鷹め」傍らの弓をとった光圀公は、ぐぐーっと引き絞って射ようとしたのですが、なぜか手が痺れて引くことができません。弓を絞ったまま動くこともできないのです。その様子を見ていた家来たちはびっくりして「ここは神域でございます」とあわてて諌めましたが、まだ若かった光圀公は忠告もどこ吹く風。「どけどけ、邪魔するな」というや否や、神殿に向かって矢を放ちました。ところが不思議、弓は真中からポキリと折れてしまったのです。あわてた光圀公は神の意思かと反省し、神殿に向かい折れた矢を捧げて「申し訳ないことをしました。お許しください」と心からお詫びをしたということです。奉納された弓や矢は、1739年の火災で焼失したそうです。他にも、栗ヶ沢の茂呂神社や本土寺など、松戸には黄門様の伝説やゆかりの地が残されています。
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