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特集記事

Vol.265 -- 2022 年 05 月号

徳川文武の「太平洋から見える日本」 徳川文武

第百五十六回 ウクライナから来たボリス

 私が一九九〇年頃から米国シリコンバレイの電話会社スプリントで働いていた時、ウクライナ出身でボリス・ラビノビッチと言う物静かな通信工学の技術者がいて、衛星通信の事もよく知っていた。我々「スプリント通信会社」の研究所(ラボ)の技術者たちは外人部隊だった。所員は四十人ほどで、次世代に使えそうなメーカの装置を組込んで評価試験を行い、ミズーリ州カンザス市にある本社の運用グループに報告書を届けるのが我々の仕事だった。スプリントはNTTのように自前の半導体や回路を設計するような金と時間がかかる投資はしない。所員には年棒で福利厚生を受ける社員と高い時給で契約した仕事だけをする福利厚生のない社外技術者がいる。社員の年棒はそれほど高くないが健康保険、休暇制度、年金制度、持株制度などの恩恵は大きい。しかし過去の日本のように家族手当や通勤手当はない。会社は積極的にピクニックや決起大会、就業後に受ける専門科目の授業料を負担してくれた。ボリスはサンフランシスコから通っていたが、母親が亡くなった時、所員たちは三々五々にお悔みに行った。ボリスの家はでかいぞと口々に言うほど大きい建物だった。

 このころ米国シリコンバレイではハイテク株が急騰し一九九八年にはついにバブルがはじけて、好い気になって株高に目を細めていた私は株価急落で一挙に千万円を失った。サンフランシスコの地元テレビ局KQEDでは時の話題を取り上げた一時間番組を度々放映した。その中でも興味深かったのは、「ウクライナ女性の進出」と「政商(オリガーキ)が操るロシア政治」と言うような題名だった。とくに前者のビデオでは、ウクライナの若い美女たちが夢を追ってトルコの首府イスタンブールへ出稼ぎにやってくる実態を描いた。ロシアのひざ元である黒海沿岸や地中海は世界の金持ちの保養地だ。黒海の都市オデッサはロシアの政治家やオリガーキたちが別荘を構えているし、映画「〇〇七」の舞台にもなった。金持ちたちは先兵をイスタンブールに送り、ウクライナをはじめ世界中の美女狩りをさせる。彼女たちの第一の夢は流行の衣装の試着、各地で催される祭り行列や展示会のモデル、運良く女優になることもある。第二の夢は付合い相手や結婚相手を見つけること、第三は金持ちの屋敷の住み込み、第四は何かの仕事を探すことである。とくにウクライナは貧困な国だから、年若い女性は国外に出て幸運にめぐりあいたい。

 東アジアの島国に住む日本人に「ウクライナ」というと、「それどこにある国」と言う質問になる。その国は日本から地球を三分の一ほど西周した海岸線が黒海の北岸で、「喉ちんこ」のように飛び出しているのがクリミア半島だ。西側の凹みにドニエプル河の河口とオデッサ港があり、東側の凹みがアゾフ海でウクライナとロシアの国境となっている河が延々とバルト海まで走っている。ウクライナ全土と黒海は同じくらい広く日本の倍くらい大きい。

 今年に入ってロシア共和国連邦大統領プーチンはロシア軍をウクライナに進撃させたのは、西北から東南に走るドニエプル河の東側で、一方的な無差別虐殺と都市破壊でにわかに両国の関係が険悪になった。さて元ソ連秘密警察KGB幹部のプーチンの固い信念は、自由世界の拡大により従来のロシア世界が狭まることを断固阻止することだ。昔からドニエプル河の東側はロシアにとっての聖域で、ロシア系住人もナチス党ドイツ軍によりロシアの聖域が侵され、プーチンはロシアが洗脳されたと思っている。

 スマホは離れている人々の心を「情報の共有で一体化」する。三十年前の一九八〇年後期にソビエト社会主義共和国連邦の共産党書記長となり、統制経済が解体した情報を公開したゴルバチョフ氏は、それ以来二十年も続いたプーチンの旧体制復活を批判して、療養中の会見で世界に民主主義の必要性を喚起した。とにかくゴルバチョフ元大統領の改革でソ連邦の黒海西北側の諸国の多くがヨーロッパ経済連合に吸収されてしまった。ロシア帝国主義を支持する身内は減り続けるが、資源供給の綱で支持をつなぎとめる。人権を擁護する国連が機能しない現在、世界はプーチンが第二のサダム・フセインやシリアのアサド王になるのを我慢できない。

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