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徳川文武の「太平洋から見える日本」
第百三十八回 パリ万博が結ぶ渋沢栄一と徳川昭武
次期大河ドラマの主人公と一万円紙幣の人物肖像は渋沢栄一に決まった。渋沢栄一(1840〜1931)はこの混乱の世にお国のために働きたいと、二十五歳のとき建白書を携えて一橋家徳川慶喜(1837〜1913)の御用人平岡圓史郎を討幕の志士の聖地京都に訪ねた。運よく直々に徳川慶喜に目通りを得て家臣になり、彼の将来が開けた。平岡の勧めで名を篤太夫と改めた。栄一が編纂した「昔夢会筆記」の冒頭で、慶喜の想い出を「日々いそしむべき弘道館の受業も休みにて、烈公(徳川斉昭)はじめよりお見舞いの品などくさぐさ下されしかば、予は幼心に、疱瘡(天然痘)は世に嬉しきもののひとつなりと思いとりぬ」と綴っている。
赤城おろしが鍛えた活動家
渋沢栄一は現在の埼玉県深谷市(武州榛名血洗村)の利根川流域に近く、代々養蚕と藍玉作りを営み成功した富農に生まれた。彼は幼い頃から家業を手伝い算盤にも親しむ一方、近隣に住む漢学者から論語など社会倫理の手ほどきを受け、剣術も身に付けた。栄一の物心がつく頃、外からは西欧列強の開国要求、内からは飢饉と農民一揆が勃発して年貢依存の経済が崩壊し、幕藩権力が弱体化し王政復古の声も上がった。栄一は十九歳で結婚し地元の攘夷倒幕活動の指導格となり、高崎城の乗っ取りまで計画したが仲間に諭され断念した。
家臣となった栄一は、一橋家の強化のために農兵募集で実績を上げ、殖産事業で御勘定組頭、さらに御用談所出役兼任となり待遇も格段に上がった。一八六〇年頃から英国の武器を持つ薩長勢力が公家と結託、フランスに支援された幕府と対戦する。栄一は慶喜に仕える手応えはあるが、日本が国際的内乱に巻き込まれ、国内の不安定な政治活動に捕われる自分に我慢できなかった。慶喜は一八六六年第十五代将軍となった。栄一は前途多難な政治の世界に失望し、浪人になろうと辞表提出を考えた。しかし日原一之進に呼ばれ、将軍の弟、徳川民部大輔昭武の渡仏に随行するよう慶喜の内命を受けた。世の中が黒船だ攘夷だと騒ぐ時に、自分が夷狄の中に切込んでその長所を学べるのは、又とない機会だと考え直した。
水戸藩の武士少年
水戸藩主徳川斉昭の江戸駒込別邸で第十八男、松平余八麿昭徳(のち昭武)は慶喜の弟として、渋沢栄一より七年あとに生まれた。明徳は生後半年で水戸に送られ、兄弟と共に武道、剣道、馬術と厳しく仕立てられた。一八五九年水戸藩主徳川斉昭は、井伊大老により国許へ永蟄居させられた。江戸時代の幕臣は、守護討伐(皇居伺候、禁裏守衛、討伐)、参謀、一族内務(家督、養子、後見など)が職務であった。昭武の場合、十二歳で禁裏守衛、民部大輔、十五歳で近衛権少将など忙しい。
一之進が栄一に言うには、まだ十四歳の民部公子が大君徳川将軍の名代として洋行(一八六七年パリ万国博覧会)されるにつけ、御傅役の山高石見守をはじめ二十余名がお供するが、お前は「庶務会計として随行し彼の地の新知識を学んで来い」との直々将軍のお考えだと言う。幕府の遣外派遣団はこれが五回目で最後になる。将軍慶喜が送る昭武の任務は、博覧会の後の「欧州各国の歴訪」、パリに戻り数年間の「修学」、その先生方を大切にする、「日本の事情変化に従う」、「随員との友好、勝手な行動無用」とされた。昭武は二年間毎日仏文と和文で日記、栄一は「航西日記」などを綴った。昭武は当時まだ小学校卒程度の年齢で、なれない社交と勉学で多忙の緊張が多くなる。一方、栄一はじめ幕府の随行員たちにも様々な問題が起き、栄一には雑用も多かったと思われる。昭武の遊学生活が始まると、一八六七年十月に幕府から大政奉還の知らせ、七月に明治政府から昭武に帰国命令が届き、水戸藩から迎いが到着した。
維新のちの三人の交流
昭武と栄一がパリをこの三か月後に出港し二か月のちに神奈川、横浜に上陸した。まず昭武は小石川邸に落着き東京城で明治天皇に拝謁、函館賊徒追討、水戸藩襲封(相続)など、栄一は外国旅行中の様々な勘定の処理すると、版籍奉還の一八六九年に静岡に滞在し、慶喜を訪ねてパリ万博旅行の話を聞かせた。昭武は一八七一年廃藩置県で水戸知藩事を免じられ、一八八五年松戸に隠居所が完成した。慶喜は一八九七年東京巣鴨に屋敷を構えた。栄一は明治政府に仕官し大蔵大臣になったが同調できず、まず民間の銀行を設立し「殖産興業」に全力を投じることになった。慶喜と昭武は写真など、栄一を加えると狩猟や魚釣りも共に楽しんだ。
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