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特集記事

Vol.208 -- 2017 年 08 月号

徳川文武の「太平洋から見える日本」
徳川文武

第九十九回 テキサスで火蟻に噛まれる
 日本にも入港したコンテナから火蟻が上陸したと報じられた。時は三十年以上も前、私は1984年夏カリフォルニア州サニーベイルに本社がある米国半導体企業、アドバンストマイクロデバイシズ、通称AMDに入社し開発部に着任した。当時のシリコンバレイには米国の、いや世界中の半導体企業がひしめいていた。世の中は未だ個人用コンピュータ(PC)やインターネットが普及する前だった。世界には光ファイバーを使った容量が大きい通信網が敷かれていなかった。

 1984年のクリスマス前、私は行ったこともない赴任先のテキサス州オースチンへ、少ない引越し荷物を積み、車で千九百マイル(三千百キロ)を足かけ四日で移動した。経路は、はじめ太平洋沿いに日本人に有名なぺブルビーチで宿泊、翌日はメキシコ国境沿いに十号線と言う南路をとることにした。次はメキシコとの国境都市エルパソを過ぎたところで二泊目、最後はテキサス州首都オースチンに入り高速三十五号線沿いのモーテルで三泊目になった。翌朝クリスマスイブの日、周囲には雪が降っていた。AMDの事業所と開発部は高速三十五号線をよぎる環状線の南側の近くにある。一月二日が出社日なので、それまで近くのウインドハムホテルに宿泊した。

 出社日に小さな開発部の建物へ行くと、地元では十五年来の大雪で高速三十五号線は自動車事故が頻発し、出社した従業員もちらほら、ここからテキサスの生活が始まった。私が属するのは通信用CMOS半導体を新規開発する二十名ほどの技術者集団で、インド人のジャヤクマールさんがチームマネジャだ。私は機能シミュレイタを担当したが、これはサニーベイルで半分以上作っていた。これからの作業は必要なデジタルフィルタを設計することだった。とにかく翌年にチップとして動作するプロトタイプが出来上った。私はこのチップを組込む顧客訪問のために、日本現地法人の日本AMDに送られ、日本で二年ほど働くことになった。テキサスの開発チームは選抜された若者たちだった。高齢者は英国からカナダへ移民してきた大学教授や私、地域的な老舗の半導体メーカであるモトローラからも熟練のセル設計者が、インドから米国の大学へ留学して卒業した技術者たちが多数、もともとの米国人たちは五名くらいだった。検証回路、ブレッドボードの組立も重要な仕事だった。

 さて私にとって、テキサスの生活は全く経験したことがなかった。広大な北米大陸で、テキサス州は気圧配置が不安定な北米大陸中央帯の最南部に属し、メキシコ湾に面している。この中央帯中部と北部では竜巻が頻繁に起り、この予測が長年困難だった。晴天の元日に自動車のフード(ボンネット)で目玉焼きが出来るほど過熱するとき、突如として天気が変わり、にわか雨が降り始めると冷蔵庫の角氷なみの雹がばらばらと空から落ちてきた。テキサスでは車に「雹保険」をかける人もいる。一つ星の州旗を誇りにするテキサス人は、自州に特別の気概を持っている。テキサスにないものはない、雪山も砂漠も全てがちょっとずつあるのだと。白人主義で排他的なのも「レッドネック」と呼ばれるテキサス人の特徴だ。太平洋戦争の終戦直後、食料困窮の日本に対し真っ先に援助を申出たのはテキサスで、こんなうまい米はないと、いわゆる外米を大量に送ってくれたが、日本人の口には合わなかった。  AMDでテキサスの従業員となった我々の多くは、新天地で不動産を手に入れた。私は中古の家を十二万ドル(二千四百万円)で買ったが、二年ほどで景気が悪化し市場価格は四割も暴落した。到着した時に家賃四百五十ドルでアパートに住んでいたときのことである。独身で脱ぎ捨てた靴下や下着を押入れのじゅうたんの上に放置していた。晩の七時、その中からブリーフを取出して着替えた。私は股ぐらに激痛を感じ飛上った。テキサスに火蟻がいると聞いてはいたが、ついに噛みつかれたか。身体中がほてり悪寒で震えた。ブリーフの局部には黒々と何十匹もの赤い蟻がたかっていた。電話帳で救急医療センタを探し電話をかけて事情を話すと、解毒の注射をするからすぐ来るように言われた。火蟻はメキシコから地続きで米国にひろがり、毎年何十マイルかを北上すると言う。米国ではアパートなどで蟻が出没する場所に、「テロ」と言う硼酸系の蟻駆除剤を紙や木片に塗って置く。蟻はそれを巣に持込み巣で自滅する。そののち日本で火蟻の話をすると、女性はからからと笑って、あなたは不潔だからでしょと笑い飛ばされたのだが。

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