パリ同時多発暴殺
十一月十三日金曜日にパリの下町で「同時多発暴殺事件」が起きた。合計百二十九人の庶民が、劇場など六ヶ所で公演中、武装した回教徒八人により殺害された。これについて「イスラム国」のウェブでは、フランス軍によるシリアのイスラム国集団への爆撃に対する報復だと声明を発表している。一方、フランス政府の捜査によると、犯人は回教徒の若者たちでブリュッセル(ベルギー)やパリの住人で、回教徒移民の子孫たちだという。彼らは、パリにいる首謀者の指揮で暴動を共謀したと言われる。
このような事件の発生の背景は、第一に若者回教徒たちが「社会的な差別」を受け、満足に就職もできない「不満」があること、第二に若者回教徒たちが、イスラム国指導者により「間違った回教教義」に扇動された結果だと言われる。第三には、働く場が無い若者回教徒たちにとり「武器や麻薬」の転売は、収入を得る手っ取り早い方法であること、第四には、アフリカや中近東から欧米へ来た移民の子孫たちの多くは、親の収入が低いため「教育の機会」に恵まれず、社会の下層から這い上がれないで「不孝な世代の循環」を続けることになる。
西欧列強によるアフリカや南米の植民地化
広いユーラシア大陸(ヨーロッパとアジア)の国々は「地続き」であり、アフリカ大陸ともスエズ運河の狭い海峡を跨げば地続きになっている。とにかくヨーロッパ地中海諸国にとって、アフリカ北岸は日本で瀬戸内海を挟んだ中部地方と四国のような関係にある。従って古くからアフリカ北岸は地中海諸国の植民地にもなっていたので、人間の移動もしばしば起こった。
十五世紀末、「地理上の発見」の時代には、羅針盤を使って航海するようになり、スペインとポルトガルが大西洋経由で米国大陸に到達し新大陸から大量の金銀を奪取した。そののち産業革命で蓄財した英国とフランスは、現在の北米大陸に進出した。第一次大戦直前のアフリカ大陸は、エジプトとリベリアとエチオピアを除き、西欧七カ国によって完全に分割植民地化されてしまった。支配者や住人がいるのに、人間とは何と身勝手なものか。
十九世紀後半前のアフリカは、物産や奴隷をもたらす価値だけだったが、それ以後西欧諸国の工業化につれて、重要な資源供給源となった。英国とフランスはアフリカを植民地化した二大国だが現在も、英国は植民地から多量の金、いま世界のダイヤモンド生産額の最大はロシアだが、当時英国とベルギーはダイヤモンドを手に入れることとなった。アフリカ西海岸とサハラ砂漠諸国には産油国が多く、希少な工業用資源が豊かな国も多い。第二次大戦後、アフリカの植民地は次々と独立したものの、豊かな資源と不安定な政治が、逆にその国民を翻弄している。
異民族に対する差別
我々人間には、皮膚の色、眼の色、身体の大きさ、話す言語や習慣など、個人を見分ける特徴が多くあり、集団の中で「少数派は異端視」される。その差別のされ方は、国によって異なり、英国人は「人種」、フランス人は「職業」、米国人は「財力」、日本人は「肩書や人種」だと言われる。
植民地の住人は、植民地本国(宗主国)の人にとっては、異民族であることが多い。西欧列強は、世界中で異民族の土地を取上げて植民地を作り、力ずくで住民を搾取したのが第二次大戦までの「植民地時代」だった。ロシアや中国は第二次大戦後でも、発展途上国や近隣少数民族に対して「のっとり」、「民族浄化」を続けている。それは資源略奪と領域支配の野望があるからだ。宗主国は移住してくる植民地住民に、宗主国の国籍や居住権を与えているが、さまざまな面で植民地系人は差別される。とくに宗主国の政治や経済が不調なときは、立場が弱い植民地系人に差別の矛先が向けられる。これが今回のパリで起きた「若者回教徒たちによる暴殺事故」の背景である。
差別を感じない日本社会の実現
今回パリで起きたような「異分子暴動事件」を日本国内から起こさないためには、「不満を感じる人々のはけ口が暴力に向かない社会」を作ることが必要である。「警察力の強化」は「育った茨を刈り取る」ことはできるが、原因となる「政府が不満を取合ってくれない状況」の解決にはならない。安倍政権になってから、目に見えて、金持ちはさらに豊かに、貧乏人はさらに貧しくなった。最大の原因は、改正された派遣労働法だろう。大企業は大黒字だが正社員の「労働は重く」、非正規労働者の雇用はさらに「不安定で少ない収入」になり、このままでは日本社会は爆発する。