Vol.139 -- 2011 年 11 月号
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第32回<わが道を選んで成功したアップル>
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彗星のようにこの世を去ったスティーブ・ジョブズは、米国カリフォルニアだからこそ翼を伸ばせた情報産業の企業家だ。彼の業績は、すでに築かれたシリコンバレイの土壌の上に実を結んだ。共和党のお膝元アイビーリーグは東海岸を、民主党を支持する、輝く太陽の下のハイテク産業は奔放な西海岸を象徴する。東部アイビーリーグの大学では教授は日本と同様絶対的な権威があり背広とネクタイで授業を行なうが、西海岸では多くの教授はシャツ姿で名前(ファーストネイム)で呼ぶことも許す。東部では肩書きが重要、西部では実績がものを言う。端的にこれは日米社会の違いに対応するとも言える。
シリコンバレイの若者ハイテクジークス
この地に多くの半導体メーカがひしめく一九七〇年ごろ、若者技術集団は、パーソナルコンピュータ(PC)の開発に意欲を燃やしていた。二人のスティーブ(ボズニアクとジョブズ)はアップルコンピュータを始めて一九七七年に、東海岸のIBMは一九八一年に、それぞれのPCを発売した。PCの性能と使い勝手は、これに使う中央演算装置(CPU)半導体と基本ソフトウエア(OS)に大きく左右される。IBMは始めからインテル、アップルはインテルからのちにモトローラ、最近は再びインテルCPUを使用している。
会計機械か視覚機械かの分かれ目
アップルは、ゼロックスパロアルト研究所(PARC)が創案したマウスとアイコンを採用し、表示装置一体のマッキントッシPCを一九八四年に発売、これがアップルPCの将来を決めた。商用コンピュータを多数売ってきたIBMは、伝統的なキーボード入力で画像入出力がない方式をPCにも推し進めたが、アップルはもっと使用者の便宜と能率を重視していた。IBMはゲイツが作るマイクロソフトのウインドウズをOSに採用することとなるが、一方、アップルは応用ソフトウエアではマイクロソフトに頼りながらも、リナックス(フィンランドの情報技術者が開発したOSでUNIXの普及版)を基本にした信頼性が高いOSをのちに使用して成功する。
市場戦略のちがい(IBMとアップル)
遅れてPC市場に参入したIBMは、多数の商用コンピュータを販売していたので、実績から基本入出力装置(BIOS)では経験があった。IBMはPCを作るハードウエアとしての仕様をライセンス(技術供与)したが、アップルは「おはこ」のPCの設計仕様を外部に出すことはなかった。このため、世界的にはIBM仕様のPCは、マイクロソフトの基本ソフトウエアの普及も手伝って、市場の九割以上を占め、アップルPCは今でも一割以下なのだ。世界中のPC一台ごとにウインドウズ料金が取れ、これこそビルゲイツが世界一の金持ちになった理由である。アップルはIBMに対してあまりに劣勢で、ある時期には会社の身売り、技術ライセンスも試みたが市場は広がらなかった。アップル社は自社では製品の製造をしないで台湾のメーカに依存している。
シリコンバレイの星たち
シリコンバレイには、総合情報企業として「ヒュレットパッカード」、半導体(CPU)の最大企業として「インテル」、ワークステイションの「サンマイクロシステムズ」、データベイスの「オラクル」、インターネットの「ヤフー」、映像配信の「ユーチューブ」、検索エンジンの「グーグル」とたくさんの星が輝いている。これらのどの企業も、政府に取り込んで成長したものはなく、自己を主張することによって成長した。事業を成功させるには、独自技術を持ち、自分の市場を自分で作ることが必要だ。日本にもこのような創業者は多くいる。米国の起業者たちを成功させたのは、初期に彼らに融資したベンチャー資本家だ。米国のベンチャー投資家融資は、日本で考える銀行融資とは異なる。日本に必要な企業育成は、政府補助金ではなく、ベンチャー投資家が将来像を判断し、容易に融資してくれることだ。
孤独に耐えぬき輝いたスティーブ
ハードウエア志向のスティーブの偉大なところは、二千年頃から、次々と「情報市場で消費者が求めるものを予測して製品化」していったことだ。アップルはアイフォンをAT&Tに売り込んだ。インターネットからの音楽配信端末や携帯データ端末の使い勝手改善でアップルは大きく受け入れられた。ソニーもそうであったように新製品が新市場を作り出す。いま注目されている情報機器は、「タブレットPC」と「高機能携帯端末」だが、その開発の経緯については次回に考えよう。とにかく今回は、スティーブの偉業を称えることが主題だから。
注記 シリコンバレイとは米国カリフォルニア州北部サンフランシスコ湾南部で、フリーモントからサンノゼからサニーベイル、パロアルト、レッドウッドシティまで馬蹄形に広がるハイテク工業地帯の地域総称。中心線の長さは六十マイル(百キロ)程度。
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