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特集記事

Vol.47 -- 2004 年 03 月号
 ●小金宿出身の勤皇志士 「竹内廉之助・啓次郎兄弟」  
 北小金駅近く「東漸寺」に幕末を駆け抜けた志士「竹内廉之助・啓次郎兄弟」の墓碑が残されている。
 竹内兄弟が生きた時代ー。ペルー来航に伴う開国から天皇を尊う「尊王派」と外国人排斥を唱える「攘夷派」が結びつき、尊王攘夷運動が起こった。
 弟・敬次郎は、水戸藩に出入りするようになり、尊王攘夷派が結成した水戸藩「天狗党」と交流を持つようになる。1864年、「天狗党」は倒幕を目的とし、武田耕雲斎を主将とする「筑波山挙兵」に参加。常陸国鹿島において幕府軍に敗れ、討死を遂げる。
 一方、兄・廉之助は勤皇誘引活動を目的とし結成された「赤報隊」(隊長・相良総三)に幹部として加わる。1868年の幕府軍と倒幕軍による「鳥羽・伏見の戦い」の後、江戸に逃亡した徳川慶喜や旧幕府軍を討伐するため各地の情勢の探索に努めた。「赤報隊」の隊長・相良総三も先述の「天狗党」に加わったが、尊王攘夷運動が藩内抗争に変わっていく様相に堪えきれず、「天狗党」を離脱。この時、廉之助が相良総三と行動を共にしていたかどうかは定かではない。
 「赤報隊」は「幕府領年貢半減令」を掲げる先遣隊として民衆を味方につけ信州方面に進出。民衆の中には「赤報隊」に共鳴し、入隊する者まで現れるなど、その勢いはますます大きな規模へ発展していく。ところが、都では「赤報隊」について「赤報隊と称する強盗が民家を襲う」、「赤報隊は官軍の命令を無視している」といった悪い噂が拡がってしまう。新政府軍が意図的に流していた噂であった。資金不足に苦しむ新政府軍は、先に布告した「幕府領年貢半減令」を履行できないと判断し、「赤報隊」を「偽官軍」とすることで最初から「幕府領年貢半減令」をなかったことにする為である。
 同年2月下旬、新政府軍から攻撃を受けた「赤報隊」は殲滅。廉之助もこの際に憤死したと言われている。新政府軍のために結成されたにもかかわらず、同じ新政府軍により殲滅させられた。まさに、悲劇としか言いようがない。隊長・相良総三は捕らえられ、3月3日に処刑となったが、一言の弁明もしなかったと言われている。後に死から60年が経った1928年、相良総三の孫である木村亀太郎氏の努力により、長年に渡る濡れ衣は晴らされ、彼に正五位が贈られている。

←弟の墓碑は、彼に従五位が追贈された頃に建立された。それに並んで建つ兄の墓碑は、1912年2月に渋沢栄一による題額と吉野世経(吉野金稜の子)の撰文によって建立された。

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