Vol.27 -- 2002 年 07 月号
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広大な原野に野生の馬たちが悠然と駈けていた
【野馬の放牧場だった小金牧】
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↑江戸後期の浮世絵師、歌川広重もこの地を描いていた。広重画/富士三十六景 下総小金原
提供:松戸市立博物館
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小金牧は幕府直轄の牧場で、野馬の食料や飲料水の確保、寒暑時の避難場所の設置、牧内での煙草の禁止など、色々なきまりがあり、野馬は大切にされていました。一茶も広い小金牧を通りながら、煙草が吸えないもどかしさ。母子馬の微笑ましさや野犬など危険から我が子を護る親馬の姿などを詠んだのでしょうか。当時の様子がうかがえます。
昔この辺りの台地は、広大な野生馬の放牧場で下総牧と呼ばれていました。牧場で育てられた馬は軍馬として、また農耕や運輸の役馬に使用されました。土着の坂東武者たちも野馬を飼いならし強力な武器として台頭していきます。「承平・天慶の乱」の主人公、平将門や源頼朝の挙兵を助けた千葉氏も馬なくしてはその活躍はなかったといわれるほど、下総牧の牧馬が大きな戦力となったようです。下総牧には佐倉牧と小金牧があり、その中央に位置する場所が現在の小金原、常盤平のあたりで、松戸にかかるのは小金牧の中野牧です。牧場は、律令時代に官牧として制定され江戸時代まで、その時々の支配者によって管理されます。天正18年(1590)江戸城に入った徳川家康は、馬の生産や塩の確保にも力を注ぎます。それが下総牧であり、行徳の塩でした。家康は、東海随一の馬の名手ともいわれ、馬には大そう詳しかったといいます。慶長17年(1612)下総牧の管理を小金町の綿貫十右衛門に世襲で任せ、野馬奉行という職を与えました。
その後、綿貫家は11代にわたり野馬管理者として小金・佐倉牧を支配していきます。
牧場の重要な仕事は、幕府へ引き立てる馬や庶民一般に売り払う馬を確保する「野馬狩り」で、牧内に設けた捕込という囲い土手に追い込み捕獲します。一日に千人前後が動員され、終わるのには二十日位かかったといいます。幕府へは優良の三才駒(オス)、メス馬は農民へ払い下げられました。また小金牧には、野馬のほかに多くの鹿や猪、野犬が生息し、廃止されていた御狩場も享保2年(1717)に復活、再び小金牧は水戸家の御狩場として将軍の「お鹿狩り」が行われました。八代将軍吉宗をはじめ中野牧での将軍お鹿狩りは、壮大で華々しい催し物として松戸の歴史に残されています。
野馬狩りもお鹿狩りも農民たちを勢子として使うため農閑期に行われましたが、周囲の村々や農民たちには大きな負担でもありました。
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【小和清水公園】
親はうま酒、子は清水
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↑交通量の多い場所にあるにも関わらず、都会のオアシスのような佇まいを見せています。ちょっとした散策路もあり、近隣の人々の憩いの場でもあります。
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↑常盤平にある子和清水公園。小さな公園ですが、泉があり、清水を手ですくって飲む子供の「子和清水之像」と「一茶の句碑」もあります。
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むかし、貧しいけれど親孝行な息子と年老いた父親が二人で暮らしていました。父親は大の酒好きで、息子は毎晩でも飲ませてやりたいと思いましたが、そうもできず切なく思っていました。そんなある日のこと、野良仕事から帰ってくると、父親は酒の匂いをぷんぷんさせて上機嫌。それから何日も続くので、心配になった息子はあとをつけることにしました。すると松とけやきに囲まれた泉があって、父親は「うまい酒だ」と言いながら、こんこんと涌き出る清水を飲んでいました。父親の去ったあと、息子も飲んでみましたが「やはり、ただの水」でした。この泉は、どんな日照りでもけっして涸れることがなかったといいます。
清水の湧くところには必ずある伝説ですが、小金牧の時代、野馬たちの水のみ場は50以上もあり、干ばつが続いた時などは酒樽に水を入れて飲ませたといいます。また出産の時には、多数の馬が円形に取り巻き、その中で子供を産んだといわれ、夏や冬のきびしい季節に生まれた馬は10頭のうち1頭が育てばいいほうであったようです。
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行き方/最寄り駅は新京成線の常盤平駅。駅を出て西友の横を通り、常盤平支所に向かってまっすぐ歩きます。支所を過ぎてさらに常盤平小学校を通り過ぎた所にある、三叉路の真ん中の緑の生い茂った場所が子和清水公園。駅からまっすぐに10分ほどで着きます。小さな公園なので見逃さないでください。
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←一茶の句のうち、
「母馬が 番して呑ます
清水かな」の句碑が建
てられています。
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