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特集記事

Vol.209 -- 2017 年 09 月号

徳川文武の「太平洋から見える日本」
徳川文武

第一〇〇回 終戦七十二年の将来を考える
 終戦記念日を過ぎたこのごろ、太平洋戦争のいくつかの局地戦の実情がテレビ番組で放映され、興味深く視聴した。私が関心を持ったのは、大本営が「インパール作戦」を承認した過程と兵站(後方支援)が不十分で行う戦争が兵士に与える苦痛だ。日本が戦場に兵士を送らないで済めば良いのだが。

大本営と言う組織
 大本営は戦時に設置される天皇直属の日本軍(陸海軍)の最高統帥機関(最高司令部)で天皇の命令として発令する。これは日清戦争から太平洋戦争の終わりまで存続した。太平洋戦争末期に戦局の敗色が見られると、戦況が有利なように粉飾情報を流し続けた。大本営の内部は陸軍と海軍の縦割、作戦参謀が情報参謀を軽視することから、敵軍情報を軽視し無謀な作戦を立案する弊害が目立った。インパール作戦では、大本営内の人間関係が温情的承認を招いたと言われる。大本営の上層部は、日清戦争と日露戦争の勝利から、過度の自信を抱いた結果、不十分な兵站にもかかわらず太平洋戦争で作戦を承認し、その面子を保つために、必要があっても撤退をせず、何百万人もの兵士を戦場で死に追いやり、国民の生活をどん底に陥れる結果となった。

歴史的に無謀なインパール作戦
 事の始まりは、一九四二年日本軍が英領ビルマ(ミャンマー)全土を制圧し、英軍はインドに敗走したことである。翌年、日本軍はガダルカナルで米軍に惨敗したので、英軍はビルマ奪還を考え直す。日本軍は英軍の昼間飛行を避け、ビルマ国境の大河を夜間に渡り、二千メートル級の山を越えて、英国軍のインド東北部の基地、インパールを雨季前の三週間で攻略する作戦が大本営により承認された。一九四四年三月に日本陸軍の攻略は、南から、中央から、北からと言う三個師団、総兵力九万人の歩兵隊が四、五百キロを進軍することとされた。短期間の決戦の故、兵士たちは三週間の食量しか与えられなかった。補給支援の不足、進軍の劣悪な環境条件、武器兵器は分解し人力による運搬が必要だった。日本の南軍は、二週間進んだ地点で英軍の戦車砲を浴び、大敗北した。司令部に作戦変更を求めたが、大和魂はないのかと怒号が返ってきた。英軍は多数の日本軍人から日本軍の現状を聞取り、周到な計画を立てていた。

  作戦開始から二か月の戦果が良くないので、天皇への上奏では現実を隠した。苦戦の原因は三人の現場指揮官にあるとして、師団長全員を次々と更迭した。牟田口司令官はビルマから戦場に向かったが、日本軍がインパールに到達できないことは明らかだった。三十年ぶりの大雨季が六月に来る前に、一万人以上の兵士が死んだ。大本営は七月に作戦中止を発令、インパール作戦の全体の戦死者の六割が、このあと四百キロの撤退から出た。牟田口司令官は、兵士たちに先駆けて戦場を去り帰国した。雨季の到来後、マラリアや赤痢で死ぬ兵士が増えた。到達した村には食料がなかった。密林に棲む動物やハゲタカが転んだり動かなくなったりする兵士に襲いかかった。兵士同士が殺し合いをし、その肉で物々交換をした。多くの兵士が、ビルマ国境の川へ辿り着く前に力尽きた。野戦患者収容所では望みがない兵士に乾パンと自決用に手榴弾を与えた。

司令官と少尉の戦争感覚
 牟田口司令官は回想録に、作戦は上司の指示だと書いた。大本営上級幹部は、戦犯としてのインパール作戦の責任を、英国から尋問された。彼は大本営は作戦を立案をせず、責任は南方軍、ビルマ方面軍、第十五軍の責任範囲の拡大にあると答えた。インド国境で戦った英軍の兵士の著書で「日本軍の作戦は英軍を苦しめた」と言う文章を見て、牟田口司令官はインパール作戦の自己評価を確信したと言う。彼は国会図書館でインパール作戦の正当性を記録に残し七十七歳まで生きた。

 牟田口司令官の部下として二十三歳で司令部に配属された斎藤少尉は現在九十六歳、インパール作戦の記録を書き続けたが、敗戦後連合軍の捕虜になり、一九四六年に帰国し結婚した。彼の言葉は、「死体には兵、軍属が多い。将校や下士官は死んでいない。日本の軍隊の上層部の兵隊に対する考えはそんなもんです。国家の指導者層の理念に疑いを抱く。望みのない戦を戦う、世にこれ以上の悲惨事があろうか」

 米国ではベトナム戦争やイラク戦争から帰国すると悪夢に取りつかれる兵士が多く出た。米国は戦場での傭兵や無人兵器の使用を増やしている。しかし人間が戦場にいる限り、その肉体的や精神的危険を避けるには、戦争を止めるしかない。



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